多くの企業では、入社時や退職時に従業員から秘密保持誓約書を取得する運用が行われている。しかし、「誓約書に署名させているから安心」と考えて、社内の秘密情報の管理体制まで手当てしていないケースは少なくない。誓約書は重要な手当てではあるが、それだけでは営業秘密としての法的保護や、実際の情報漏えいの抑止に限界がある。本記事では、秘密保持誓約書だけでは守り切れない理由と、実効性を高めるための設計を整理する。

秘密保持誓約書の位置づけ

秘密保持誓約書は、従業員が在職中および退職後に、会社の秘密情報を第三者に開示・漏えいしない旨を誓約する書面である。入社時に取得するケースと、退職時に改めて取得するケースの両方が実務上見られる。

誓約書を取得する意義は、主に次の2点にある。

  • 従業員に対して、秘密情報を保護すべき義務があることを明示的に認識させる(心理的な抑止効果)
  • 情報漏えいが発生した場合に、契約上の義務違反として損害賠償等を請求する根拠を確保する

ただし、誓約書があるからといって、情報漏えいそのものを防げるわけではない。誓約書は、あくまで従業員が秘密保持義務を負っていることの証跡であり、実際に情報が持ち出せない仕組み(アクセス制限など)を構築するものではない点を理解しておく必要がある。

不正競争防止法上の「営業秘密」として保護されるための要件

秘密情報の漏えいや不正利用があった場合、不正競争防止法に基づく差止請求や損害賠償請求を検討することがある。ただし、この法律による保護を受けるためには、対象となる情報が同法上の「営業秘密」(不正競争防止法第2条第6項)に該当する必要がある。営業秘密として認められるためには、次の3要件をいずれも満たす必要があるとされている。

要件 内容
秘密管理性 情報にアクセスできる者を制限し、秘密であることが認識できるよう管理されていること
有用性 事業活動に有用な技術上・営業上の情報であること
非公知性 一般に知られていない状態にあること

この3要件のうち、実務上特に問題になりやすいのが秘密管理性である。仮に誓約書上「これは秘密情報である」と定めていたとしても、実際の社内運用において、その情報に誰でもアクセスできる状態になっていたり、マル秘表示等の管理措置が取られていなかったりすると、秘密管理性が認められない可能性がある。

つまり、誓約書に署名させているだけで、社内のアクセス制限、ファイルの管理区分、マル秘表示、パスワード管理などの実質的な管理体制が伴っていない場合、いざ情報漏えいが発生した際に、その情報が不正競争防止法上の営業秘密として保護されない可能性がある点に注意が必要である。

秘密保持義務と競業避止義務の違い

秘密保持誓約書には、しばしば秘密保持義務だけでなく、競業避止義務(退職後、一定期間・一定地域で競合他社への就職や競合事業の開業を禁止する義務)も併せて盛り込まれることがある。しかし、この2つの義務は法的な性質が異なる点に注意が必要である。

秘密保持義務は、特定の情報の開示・利用を制限するものであり、従業員の職業選択の自由を直接制約するものではないと考えられている。これに対し、競業避止義務は、従業員が退職後にどのような職業に就くかという選択の自由そのものを制約する。そのため、競業避止義務については、憲法上の職業選択の自由(憲法第22条)との関係から、その有効性がより厳格に審査される傾向がある。

裁判例では、競業避止義務の有効性を判断する際の考慮要素として、一般に次のような事情が挙げられている。

  • 会社の正当な利益(保護すべき営業秘密やノウハウの存在)
  • 従業員の地位・職務内容(秘密情報へのアクセスの程度)
  • 制限の期間・地理的範囲・対象業種の広さ
  • 代償措置(退職金の上乗せ等)の有無
  • 従業員が被る不利益の程度

こうした考慮要素は、フォセコ・ジャパン事件をはじめとする裁判例の中で言及されてきたものであり、個別の事案ごとに総合的に判断されると考えられている。誓約書に競業避止義務の条項を入れさえすれば有効になるわけではなく、制限の範囲が過度に広範であったり、代償措置が伴っていなかったりする場合、無効と判断される可能性がある点に留意したい。

退職時の誓約書取得のタイミングと限界

退職時に秘密保持誓約書を取得する運用は多くの企業で行われているが、このタイミングにも限界がある。退職の意思表示がなされた後に誓約書を取得しても、その従業員が既に社内の秘密情報を私物のUSBメモリやクラウドストレージにコピーしていた場合、誓約書には抑止効果が及ばない。

したがって、退職時の誓約書取得は、あくまで事後的な手当ての一つと位置づけ、それ以前の段階(在職中)から情報の持ち出しを防ぐ仕組みを構築しておくことが重要である。

実効性を高めるための設計

秘密保持誓約書の実効性を高めるためには、誓約書単体の整備にとどまらず、次のような取り組みを組み合わせることが有効と考えられている。

秘密情報の範囲の具体化

誓約書に「会社の業務上知り得た一切の情報」といった包括的な文言だけを記載すると、実際にどの情報が保護対象なのか不明確になりやすい。就業規則や情報管理規程と連動させ、秘密情報の分類(マル秘、社外秘等)や具体的な対象範囲を明確にしておくことが望ましい。

就業規則・情報管理規程との連動

秘密保持誓約書は単独で機能させるのではなく、就業規則における服務規律や、情報管理規程におけるアクセス権限の設計と一体的に運用することで、秘密管理性の裏付けとしての実効性が高まると考えられる。

アクセス制限とログ管理

重要な情報へのアクセス権限を、業務上必要な従業員に限定し、アクセスログを記録・監視する体制を整えることが、秘密管理性の要件を満たすうえでも重要である。誰でも自由にアクセスできる状態のままでは、誓約書があっても秘密管理性が否定されるリスクが残る。

退職時のヒアリングと返還・削除確認

退職者に対しては、誓約書の取得だけでなく、貸与物(PC、USBメモリ等)の返還、私物端末や個人のクラウドストレージへの情報コピーの有無の確認、社内システムへのアクセス権限の削除を組み合わせて実施することが望ましい。

よくある失敗例

  • 入社時に誓約書を取得しているが、社内の情報管理規程が整備されておらず、秘密管理性の要件を満たせていない
  • 秘密保持義務と競業避止義務を区別せず、同一の条項で処理しており、競業避止義務の有効性が争われた際に十分な検討がされていない
  • 退職時に初めて誓約書を取得する運用になっており、それ以前に情報が持ち出されるリスクへの手当てがない
  • 「秘密情報」の定義が抽象的で、実際に漏えいが発生した際、どの情報が対象だったのかを特定できない

よくある質問(FAQ)

Q1. 秘密保持誓約書を取得していれば、情報漏えいが発生したときに必ず損害賠償を請求できますか。

誓約書は、従業員が秘密保持義務を負っていることの根拠にはなるが、実際に損害賠償等を請求できるかどうかは、損害の発生や因果関係の立証など、別途の要件を満たす必要がある。また、不正競争防止法に基づく請求を検討する場合は、対象情報が秘密管理性・有用性・非公知性の3要件を満たす営業秘密に該当するかどうかも問題になる。誓約書の存在だけで請求が当然に認められるわけではない点に留意し、具体的な対応については専門家に相談することが望ましい。

Q2. 競業避止義務の条項を誓約書に入れておけば、退職者が競合他社に転職するのを止められますか。

競業避止義務の有効性は、制限の期間・地理的範囲・対象業種の広さ、代償措置の有無、従業員の職務内容などを総合的に考慮して判断されると考えられている。誓約書に条項を入れているだけでは、その内容が過度に広範であったり代償措置がなかったりする場合、無効と判断される可能性がある。競業避止義務の設計については、個別の事情を踏まえて専門家に確認することが望ましい。

Q3. 中小企業でも、営業秘密として保護されるための秘密管理体制を整える必要がありますか。

企業の規模にかかわらず、不正競争防止法上の営業秘密として保護を受けるためには、秘密管理性等の要件を満たす必要があると考えられている。大がかりなシステム投資が難しい場合でも、アクセス権限の限定、ファイルへのマル秘表示、情報管理規程の整備など、実施可能な範囲での管理体制を整えることが望ましい。自社の規模や業態に応じた具体的な管理体制の設計については、専門家に相談することも一つの方法である。

まとめ

秘密保持誓約書は重要な手当てであるが、それだけで営業秘密が守り切れるわけではない。

  • 誓約書は従業員の秘密保持義務を明示する証跡であり、実際の情報漏えいを防ぐ仕組みそのものではない
  • 不正競争防止法上の営業秘密として保護されるには、秘密管理性・有用性・非公知性の3要件を満たす必要があり、社内の管理体制が伴わないと保護が及ばない可能性がある
  • 秘密保持義務と競業避止義務は法的性質が異なり、競業避止義務は職業選択の自由との関係でより厳格な有効性審査を受ける傾向がある
  • 退職時の誓約書取得だけでは、それ以前の情報持ち出しへの抑止効果に限界がある
  • 秘密情報の範囲の具体化、就業規則・情報管理規程との連動、アクセス制限、退職時のヒアリングと返還・削除確認を組み合わせることが実効性を高める

誓約書や関連規程を整備する際は、秘密保持誓約書(従業員向け)テンプレート競業避止誓約書(従業員向け)テンプレート営業秘密管理規程テンプレートも参考になる。

本記事は一般的な情報提供を目的として作成されたものであり、個別・具体的な法律相談に代わるものではありません。本記事の内容は執筆・更新時点の法令・裁判例等に基づいており、その後の法改正等により内容が現状と異なる場合があります。本記事の内容に基づいて行った行為の結果について、株式会社リーガリスト(以下「当社」)および監修者は一切の責任を負いかねます。個別の事案については、必ず弁護士等の専門家にご相談ください。

[要確認事項] - 不正競争防止法第2条第6項の営業秘密の3要件に関する記載内容の正確性について要確認。 - フォセコ・ジャパン事件をはじめとする競業避止義務に関する裁判例の紹介の粒度・正確性について監修者確認が必要。