シード期のスタートアップが資金調達を行う際、企業価値(バリュエーション)の算定が難しい段階では、株式による資金調達ではなく、将来の株式に転換する権利を投資家に付与するコンバーティブル投資(転換社債型新株予約権付社債やJ-KISS等)が広く用いられている。これらの手法は、複雑な株式発行手続を経ずに迅速な資金調達を可能にする一方、バリュエーションキャップやディスカウント率といった独自の条件設定があり、後の株式による資金調達(priced round)の際に希薄化の程度に影響を及ぼす。本記事では、J-KISSを中心にコンバーティブル投資の仕組みと交渉ポイントを整理する。

コンバーティブル投資とは何か

コンバーティブル投資とは、投資実行時点では株式を発行せず、あらかじめ定めた条件(次回の株式による資金調達の実施、一定期間の経過等)が満たされた場合に、投資額が株式に転換される仕組みの資金調達手法である。日本では、コンビニ等の新株予約権を用いた「J-KISS型新株予約権」が広く普及しており、米国のKISS(Keep It Simple Security)を参考に、日本の会社法に適合する形で設計されたひな形が公開され、多くのシード投資で活用されている。

コンバーティブル投資が用いられる主な理由は、シード期の企業価値評価が困難であることに加え、株式による資金調達と比較して、契約書の作成・交渉に要する時間とコストを抑えられる点にある。

J-KISSの基本的な仕組み

J-KISSは、新株予約権(投資家が一定の対価を払い込むことで将来株式の交付を受けられる権利)の形式を用いたコンバーティブル投資の手法である。投資家は、J-KISS契約に基づき、あらかじめ定めた払込金額を会社に払い込み、新株予約権の発行を受ける。その後、次回の株式による資金調達(適格資金調達)が行われた際に、当該新株予約権が普通株式または種類株式に自動的に転換される仕組みとなっている。

J-KISSの主な条件要素は次のとおりである。

条件要素 内容
バリュエーションキャップ 転換時の企業価値の上限を定め、それを超える評価額がついた場合でも、キャップを基準に転換価格を計算する仕組み
ディスカウント率 次回資金調達時の株価に対して、一定割合(一般的に10%〜30%程度が目安とされることが多い)を割り引いた価格で転換できる仕組み
転換のトリガー 適格資金調達(一定額以上の株式による資金調達)の実施、M&A、満期到来等の転換条件
満期日 一定期間(多くの場合18か月〜24か月程度)内に適格資金調達が行われなかった場合の取扱い

バリュエーションキャップとディスカウント率は、いずれか有利な方(投資家にとってより低い転換価格になる方)が適用される設計が一般的であり、シード投資家に対して、早期のリスクを取ったことに応じた優遇を与える仕組みとなっている。

バリュエーションキャップの交渉ポイント

バリュエーションキャップは、次回の株式による資金調達で高い企業価値評価がついた場合でも、投資家がそれより低い評価額を基準に株式へ転換できるようにする条件であり、投資家にとって重要な保護策となる。起業家側から見ると、バリュエーションキャップを低く設定するほど、次回調達時の投資家の取得株式数が増え、既存株主の持株比率の希薄化が大きくなる点に注意が必要である。

交渉にあたっては、次の点を踏まえて検討することが望ましい。

  • 自社の事業計画・成長見込みを踏まえ、次回調達までにどの程度の企業価値向上が見込めるかを試算する
  • 複数の投資家からの調達を予定している場合、それぞれのバリュエーションキャップの水準にばらつきが生じないよう調整する
  • バリュエーションキャップの水準が、将来の資金調達における実質的な株価の下限として機能する点を理解しておく

ディスカウント率とプロラタ条項

ディスカウント率は、次回の株式による資金調達時の株価に対して一定割合を割り引いた価格で転換できる条件であり、投資家がリスクを取って早期に出資したことへの対価として設定される。一般的には10%から30%程度の範囲で設定されることが多いとされるが、案件ごとに交渉により決定される。

また、J-KISS契約には、次回以降の資金調達において、既存投資家が持株比率を維持するために追加出資できる「プロラタ条項(希薄化防止のための引受権)」が盛り込まれることがある。プロラタ条項の有無や範囲は、将来の資金調達における既存投資家との関係に影響するため、起業家としては、プロラタ条項が付与される投資家の範囲や条件を確認しておくことが望ましい。

転換されない場合の取扱い(満期時の対応)

J-KISSやコンバーティブルノートには満期日が定められており、満期までに適格資金調達等の転換トリガーが発生しなかった場合の取扱いを契約書に定めておく必要がある。一般的には、次のような選択肢が規定されることが多い。

  1. 満期時点で、あらかじめ定めた評価額(またはバリュエーションキャップ)を基準に株式に強制転換する
  2. 投資家と会社が協議のうえ、契約期間を延長する
  3. 投資家が償還(金銭での返還)を求めることができる(新株予約権の場合は制度上の制約があるため、実務上の設計に注意が必要)

満期時の取扱いが不明確なまま契約すると、資金調達が計画通りに進まなかった場合に、投資家との関係が不安定になるおそれがある。契約締結時に、満期時のシナリオについて具体的に取り決めておくことが重要である。

よくある失敗パターン

  • 複数の投資家からJ-KISSで調達する際、バリュエーションキャップの水準がばらばらで、次回調達時の転換価格の計算が複雑になった
  • バリュエーションキャップを低く設定しすぎた結果、事業が順調に成長したにもかかわらず、次回調達時に想定以上の株式を投資家に発行することになり、創業者の持株比率が大きく希薄化した
  • 満期日までに適格資金調達が実現せず、契約上の取扱いが曖昧であったため、投資家との交渉が難航した
  • プロラタ条項の内容を十分確認せず、将来の資金調達において既存投資家への割当てを優先せざるを得なくなり、新規投資家の受け入れ余地が狭まった
  • 新株予約権の行使価格や転換条件の計算方法について、投資家との間で契約書の解釈が分かれ、次回調達の実行が遅延した

投資契約における投資家保護条項との関係

J-KISSはシンプルな設計を志向する手法であるが、実際の契約書には、転換後の株式に適用される権利内容(優先分配権、情報請求権、事前承諾事項等)についても、あらかじめ言及されていることが多い。起業家としては、転換後にどのような種類株式が発行されるか、投資家にどの範囲の拒否権(重要な意思決定への事前承諾権)が付与されるかについても、J-KISS契約締結の段階からある程度見通しを持っておくことが望ましい。将来の株式による資金調達(シリーズA等)で、既存のJ-KISS投資家との条件調整が必要になる場面もあるため、投資家との関係構築も含めて長期的な視点で契約条件を検討することが重要である。

税務上の留意点

新株予約権の形式をとるJ-KISSについては、発行会社・投資家双方にとって、発行時・転換時の税務上の取扱いを事前に確認しておくことも重要である。新株予約権の払込金額の算定が適正な時価に基づいていない場合、想定外の課税関係(受贈益課税等)が生じるおそれがあるため、発行にあたっては税理士・公認会計士の助言を受けながら、払込金額や発行条件を設計することが望ましい。

資金調達スケジュールの管理

J-KISSでの資金調達を複数回・複数の投資家から実施する場合、満期日や適格資金調達の条件がそれぞれ異なると、資金調達全体のスケジュール管理が煩雑になりやすい。管理表を作成し、各契約の払込日、満期日、バリュエーションキャップ、ディスカウント率を一覧化しておくことで、次回調達時の転換価格計算や、投資家への説明を円滑に行いやすくなる。

よくある質問

Q. J-KISSと通常の株式による資金調達は、どちらを選ぶべきですか。

企業価値の評価が難しいシード期には、株式による資金調達と比較して迅速かつ低コストで実施できるJ-KISSが選ばれることが多い。事業がある程度進捗し、企業価値評価の材料が揃ってきた段階では、株式による資金調達(priced round)に移行するのが一般的な流れとされる。どちらが適切かは、資金調達のタイミングや投資家との関係性によって異なるため、個別に検討する必要がある。

Q. バリュエーションキャップを設定しない契約は可能ですか。

契約当事者間の合意により、バリュエーションキャップを設定せず、ディスカウント率のみで転換価格を決定する設計も可能である。もっとも、投資家にとってはバリュエーションキャップがないことで将来のアップサイドの保護が弱まるため、投資家との交渉状況によっては受け入れられない場合もある。

Q. 複数回にわたってJ-KISSで資金調達をしても問題ありませんか。

複数回にわたるJ-KISSでの調達自体は可能であるが、バリュエーションキャップの水準が回によって異なると、次回の株式による資金調達時の転換計算が複雑になりやすい。累積した新株予約権の転換によって、創業者の持株比率がどの程度希薄化するかをあらかじめシミュレーションしておくことが望ましく、資金調達の設計段階で弁護士やファイナンシャルアドバイザーに相談することが推奨される。

まとめ

J-KISS等のコンバーティブル投資は、シード期の資金調達を迅速に進められる有用な手法である一方、バリュエーションキャップやディスカウント率の設定次第で、将来の持株比率の希薄化に大きな影響を及ぼす。複数回の調達を見据えた条件設計や、満期時の取扱いの明確化が、後のトラブルを防ぐうえで重要である。契約条件の交渉や設計にあたっては、弁護士等の専門家に相談することが望ましい。

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